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東京下町 伍福屋町
(とうきょうしたまち・ごふくやちょう)
 
Tokyo Downtown, Gofukuya-cho

 
 2024 
個人蔵)
画像公開いたしました。(2024/12/24)
 

2009年の「東京下町の路面電車モジュール 其の1」、2014年の「東京下町の路面電車モジュール 其の2」以来、運河沿いの町家の街並を制作していませんでしたが、約10年ぶりに小型レイアウトで制作しました。 20世紀初めころ(明治末期〜大正〜昭和初期 ころ)の、東京の架空の下町の商家街を場面設定としています。(Nゲージ、S=1/150 スケール)
 
建物・屋形船は全てオリジナル設計によるフルスクラッチです。
(屋根瓦・電柱、人形など、一部にメーカー製素材使用)
本体とアクリルケースを含む大きさ:W 510 x D 300 x H 約250 mm
 

東京下町 伍福屋町
(とうきょうしたまち・ごふくやちょう)
の走行シーン
2024年12月撮影

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回転画像 - 1(建物内照明外部照明 共に:OFF
回転アニメーション GIF -1カラー
Rotation Animated GIF 1Color

17.5 MB・701×374
回転画像 - 2(建物内照明外部照明 共に:ON
回転アニメーション GIF -2カラー
Rotation Animated GIF 2Color

15.4 MB・701×398

「東京下町 伍福屋町」の建物と屋形船について

20世紀初め頃(明治末期〜大正〜昭和初期 頃)の東京の架空の下町の商家街を場面設定としています。 昭和の高度成長期以前(自動車の本格的普及前)は、物流の中心は「船」によるものでした。 江戸や大阪などの商業が盛んな都市部では川や水路・運河が多く整備されていて、人や物を運んでいました。 この作品では、かつてあったかもしれない水辺の風景を想定しています。
 
町家建築」は「武家屋敷」「民家」などと違い、「門」や「前庭」を持たず、建物が直接道路に面している点が大きな特徴です。 節税対策として間口を狭くして奥行きを長くする「うなぎの寝床」と言われる細長い敷地形状も特徴で、道路に面する表(おもて)に「みせ」(店、見世)(※これを「表店(おもてだな)」ということもある)、敷地の奥の方には「住居」や「」を配置する形が普通ですが、このレイアウトではスペースの関係上、「みせ」部分のみの設置です。
 
建物(ストラクチャー)は全て作者の自作による型紙を使用しています。 以前の作品(東京下町の路面電車モジュール 其の1・其の2)でも使用した型紙のほか、今回新しく起こした型紙もあります。 お店の看板は、ネット上の明治〜大正時代頃の画像資料をもとに作っています。

2025年(令和6年)1月掲載

1:串揚げ屋
東京・文京区根津2丁目に現存する建物(老舗の串揚げ屋さん「はん亭」店舗)を参考にしています。(明治時代に建造とのこと) プロポーションが素晴らしく何とも言えない情緒があり、文化庁の登録有形文化財にも指定されているという貴重な建物です。 ここでは自分で形を少しアレンジした型紙を使用しています。 屋根は「寄棟」です。
 
今作でもやはり老舗の飲食店のつもりで制作しました。 蕎麦屋、鰻屋、もいいですが、建物を大切されている「はん亭」さんに敬意を表し「串揚げ屋」さんということにしました。
 

2:薫物線香 屋(たきものせんこう)
店蔵の隣に蔵が並び、しかも「江戸黒」仕上げの威風堂々たる外観を持つ店蔵(みせぐら)です。 埼玉県川越市に現存する「小江戸銘菓・亀屋 川越本店」の建物がモデルです。 最高級の仕上げであった「江戸黒」(または、黒漆喰)の壁に相応しいよう、巨大な鬼瓦をつけるなど瓦屋根の意匠にも凝っていて、相乗効果で建物の格を引上げています。 個人的にこの建物が大好きで、かつて川越に何度か通いました。
 
向かって左側の「表店」の2階の屋根形状は「切り妻」の「平入り」です。関東近辺の2階建て町家建築は、この屋根形状が多く一般的のようです。向かって右側の「蔵」の屋根は「切り妻」の「妻入り」(最上部の三角形の壁が道路に向いている)です。
 
ここでは、何となくお線香屋さんの看板をつけています。
 

3:日本酒 あるいは 米 の小売店(または問屋)
比較的間口の狭い白漆喰仕上げの店蔵で、特定のモデルはありませんが、今も町並みとして町家建築が残る地域には必ずありそうな町家建築の代表の一つとして登場してもらっています。
 
2階の屋根は「切り妻」の「平入り」です。 高級な仕上げであった塗り壁仕上げに相応しいよう、鬼瓦をつけるなど瓦屋根の意匠にも凝っている事が多く、相乗効果で建物の格を引上げています。 ここでは、日本酒 あるいは 米の小売店を想定しています。
 

4:漢方薬 屋
東京の台東区根岸3丁目にかつて実在した建物がモデルです。 明治21年(1888年)に建てられ、雑貨商を営んでいたと言う「松本家住宅」の図面資料(江戸東京博物館 収蔵資料)を参考に制作しています。 正確な年は不明ですが、この建物は昭和後期まで残っていたようです。 残念ながら実物を拝見した事はありませんが、小粋な佇まいの風情ある建物だったと思います。
 
」を取り巻くように下見板張り2階建ての店舗(表店)があり、その奥には2階建ての住居部分がありました。 蔵の出入り口は外部に面しておらず、1階の店舗内にあったようです。蔵の屋根は「切り妻屋根「の「妻入り」ですが(最上部の三角形の壁が道路に向いている)、下見板張りの2階の屋根は道路に対して勾配をつけている「切り妻屋根」の「平入り」です。 濃い色の下見板張りと、白い左官仕上げの外壁のコントラストが美しい建物です。
 
このレイアウトでは、何となく漢方薬を扱う薬屋さん風の看板をつけてみました。昔の漢方薬屋さんの中には、植物由来のものだけでなく、ヘビ・亀・猿などの動物を乾燥させたものも漢方薬として展示販売していたところがあるようです。 私自身も幼少の頃(1963年生)、名古屋・大須の商店街でそのようなお店を見た事があります。 白く長いあごひげを生やした仙人のようなおじいさんが店番をしていて、そこだけ特別な異世界のように感じた記憶があります。
 

5:和菓子 店
下見板張り外壁の町家建築で、角地に建つことから2方向にお店が解放されています。 特定のモデルはありませんが、明治期の古い画像資料を見ると、割とよく目にする形態の町家建築です。
 
ここでは、和菓子店としました。 お店の奥で美味しい和菓子を作っているのです。
 

6:木工の作業場
今回新しく起こした型紙で制作しました。 レールの曲線部分に合わせて建物を作るのはちょっと難儀でした。 お店ではなく木工の作業場を想定しています。
 
「木工」と言っても漠然としていますが、「大工」(工務店)ではなく「江戸指物」のような今でいう工芸品を作っている作業場です。 現在は工芸品と言われていても、20世紀初頭当時は「日用品」だったことでしょう。
 

7:船宿(ふなやど)
屋形船(やかたぶね)の貸し出し営業や、猪木船(ちょきぶね)の手配などを行なっていたのが「舟宿」です。 猪木船とは、人を運ぶためのスピードが速い小型の木造船で、現在のタクシーのような存在です。(この作品ではスペースの関係上登場しておりません)
 
船宿」は江戸時代からあり、東京・浅草橋近辺には、驚くべきことに現在も続く老舗がいくつかあるようです。 現在も営業を続けられている「小松屋」さんは、幕末の画像資料に当時の建物が写っています。 ここでは小松屋さんに敬意を表し、入り口の暖簾(のれん)に名前を入れさせていただきました。
 
江戸時代の船宿には客間が設けられていたお店もあり、そのような船宿では居酒屋のような社交場として、あるいは男女の密会の場として機能していたと言うことです。(現在はそのようなことはないと思います)

下記の施設では、実物大の町家建築や船宿が再現されていて見学ができます。

8・9:屋形船(やかたぶね)
日本の伝統的な木造船「和船」には、大きく分けて二つあるそうです。 ひとつは、外海を航行した「海船」と、川や運河を行き来した「川舟」です。 二つの大きな違いは船底の形で、「川舟」は船底を平らにして水深の浅いところでも困らないようになっていたと言うことです。 「屋形船」も「川船」の中の1つで、現在の屋形船の船底がどうなっているか詳しくありませんが、古い木造時代の屋形船の船底は平らだったようです。 屋形船の大きさや形には決まりがなく、バリエーションが多かったようです。 ここでは、長さ約15m、約12m の2艘に登場してもらいました。
 
初期の屋形船は屋根だけあって簾(すだれ)を掛けていただけの質素な作りだったそうですが、明治期の画像資料を探すとすでに屋根と障子があり、内部が部屋の作りのようになっていたようで、一部には軒先に提灯までぶら下げているものまであったようです。
 

10:火の見櫓(ひのみやぐら)
埼玉県川越市に現存する「時の鐘」をモデルにしています。 城下町であった川越の町に時を告げる鐘つき塔として江戸時代から存在しており、明治26年(1893年)の川越大火で3代目が消失したもののその直後、現在も残る塔が4代目として再建されたとのことです。 川越では「鐘つき塔」として市民に親しまれているとのことですが、その姿は江戸時代にあった木造の「火の見櫓」にかなり近いと思われます。 (火の見やぐらは、江戸時代の浮世絵にも度々登場しています) 明治後期以降の火の見櫓は鋼鉄製が多くなっていったと言うことや、現在では防災システムの発達により火の見櫓自体が役目を終えているので、これだけ歴史のある木造の「川越・時の鐘」は本当に貴重な存在です。 敬意を表しつつ、この作品にご登場いただきました。

川越・時の鐘」の実際の高さは「約16.3m」とのこと。 2005年頃の現地パンフレットによる数値ですが、そこには立面図も記載されていたため、それを元に型紙を起こして制作しています 
(2009年制作の「東京下町の路面電車モジュール 其の1」にもご登場いただいており、今回2回目の登場です)
 

11:雑貨屋
比較的間口の狭い、下見板張りの普通の町家建築で、比較的質素な作りの建物としており、屋根は瓦葺きではなく板葺きです。 特定のモデルはありませんが、今も町並みとして町家建築が残る地域には必ずありそうな町家建築の代表の一つとして登場してもらっています。 2階の屋根は「切り妻」の「平入り」です。
 
ここでは何となく雑貨屋さんをイメージしており、「亀の子たわし」の看板を付けさせてもらいました。 庶民の生活に欠かせない存在です。
 

12:長屋(ながや)
当時の代表的な下町庶民の住まいとして長屋の存在は欠かせません。 大正時代(東京大震災前)の東京下町の一般的な長屋の図面資料(江戸東京博物館 収蔵資料)を参考に制作しています。

長屋」とは、壁で仕切られた住居が複数並んで1棟の建物となっている形態の住宅を指します。 現在の集合住宅と違い、屋外廊下や階段などの共有部分がありません。(「長屋」という言葉は、現在の建築基準法にも用語として残っています)
一口に長屋といっても、江戸〜明治〜大正〜昭和、と時代を経過するにつれて少しづつ変化していたようです。
 
前出資料によれば、明治期の東京下町の一般的な長屋は、江戸時代からの「平家」(ひらや)のものが多く、勝手(玄関ではない)を入るとすぐに土間と流しとへっつい(かまど)があり、奥には押入れ付きの4.5〜6畳ほどの畳敷の部屋一つで、庭に面してぬれ縁があり、そこを介して便所がある、というものです。 まだ風呂はなく、基本的な規模や外観、間取りは江戸時代のものと大きな差はなかったとのことです。 違いは便所の有無くらいでしょうか。 江戸時代には路地に共同便所がありましたが、人口がさらに増えた明治期には共同便所が徐々になくなり、長屋にも各部屋に便所が設けられたそうです。

大正時代に入ると東京の人口はまたさらに増加したため、2階建て長屋が出現したということです。 勝手ではなく玄関が出現し、台所は勝手として玄関と仕切られたそうです。 部屋数もだんだんと増えましたが、下町の狭い路地に2階建ての長屋が密集すると陽当たりが悪化し、物干しだけが競って高くなっていったという記述もあります。

ちなみに、昭和に入ると長屋には小さな前庭が付くようになったり、外観の意匠も凝ったものが出てきたりしたそうです。 「長屋」ではなく「アパート」(外廊下や階段など共有部分を持つ集合住宅)の出現も昭和に入ってからだそうで、現在の1Kアパートやワンルームマンションの原型はこの頃にできたようです。 公営の鉄筋コンクリート造アパート出現も昭和初期以降です。
 

13:八百屋
下見板張り外壁の町家建築で、「」の和菓子屋さんに似た町家建築ですが、屋根を瓦葺きではなく、庶民的な板葺きとしました。 この界隈に足りないのは八百屋さんなので、八百屋さんにします。 隣の長屋の住人が毎日通っています。
 

主な使用材料

  • スチレンボード(地面の高さ調整・3〜5mm厚・世界堂、東急ハンズ 扱い)
  • ボール紙(世界堂 扱い・約1mm厚・株式会社ORION 製「白ボール・A3」
  • イラストボード(1〜2mm厚、建物のベース、レールのベース)、
  • 瞬間接着剤
     
    (サラサラタイプ:Can★Do 扱い「瞬間接着剤 1g x 3本入・速乾タイプ」
     (中粘度:Can★Do 扱い「瞬間接着剤 2g x 2本入・多用途タイプ」
      その他
  • 木材(台座部分:ラワンベニア・シナベニア、アガチス単版)
  • 紙粘土(岩の表現、「Hearty ハーティークレイ・ホワイト
  • 艶消しアクリル絵具ホルベイン・アクリラガッシュ
  • 地面の砂・石:モーリン製「リアルサンド」「Rストーン
  • 瓦屋根:グリーンマックス 「瓦屋根」(Nゲージ用)を着色加工
  • 川沿いの石垣:津川洋行「 (N) SNP-N4 シーナリーペーパーN 石積 灰」を着色加工
  • 人力車・屋台:「さんけい」製キッド
     
  • KATO フォーリッジクラスター(樹木の表現)
  • 光栄堂フラワーツリー(樹木の表現、世界堂、東急ハンズ 扱い)
  • ソフトショートアスパラ(柳の木の表現、昔 世界堂で買ったもの)
     
  • 高透明レジンプロクリスタル NEO」(川・運河の水)
  • ホルベインCrystal Varnish」(水面波の表現、レジンの硬化後に塗布)、
  • アサヒペン水性ニス・マホガニー」(台座の仕上げ塗装) 他
     
  • PECO フレキシブル線路(N用、W 9.5mm)SL-300F コード55
  • 犬釘(篠原 HO N3 Spikes)
     
  • 照明:LED(3mm砲弾型、色数種) + CRD(E-153) + 560Ω抵抗 を1セットとして、計30セットほどを全て並列接続
  • 台座全面スイッチ:オルタネート、2系統(建物内部用、外部ライトアップ用)
     
  • アクリルケース(3mm厚・透明・押出し)
     
  • 販売の際の付属品
    • アクリルケース(3mm厚・透明・押出し)付属
    • 照明用のACアダプター(5V・2.0A)付属
    • パワーパック用 DCフィーダーコード N用 付属
      (TOMIX 5534 DCフィーダーNのレール側プラグ部分を別のプラグに交換したもの)
    • 車両パワーパック本体は付属しません。
       
  • 画像の車両は、「アルナイン」製のキットを作者が塗装・組立したものです。
    (車両は付属しません)

 

「下町」について

下町」とは「都市の中で商工業が盛んで低平な地域」を指し、比較的標高の高い台地の「山の手」と対となる言葉で、江戸時代から使われていたようです。 現在のJR京浜東北線に沿うように位置する「武蔵野台地」の縁から東側の標高が低い地域が「下町」にあたり、芝・京橋・日本橋・神田・上野・浅草・下谷・本所・赤羽 などが「下町」となるそうです。江戸時代より商工業が発展し、人口が多かった地域です。
 
一方、江戸城から西側の地域、「山の手」とされる地域は、「下町」よりは都市としての発展は遅かったようで、例えば「新宿(内藤新宿)」はまだ 甲州街道(現・国道20号)の宿場町の一つでした。 新宿が繁華街として大きく栄えるのは1923年(大正12年)の関東大震災以降で、現在は高級住宅地である世田谷区周辺は、昭和初期頃までは別荘地だったそうです。
 
ちなみに「番町」は、お城の守りを固めるために上級武士(旗本など)を住まわせていたエリアを指し、東京都千代田区には現在も地名が残っています。
 

「町家建築」

町家建築」は、近世に確立された都市部の建築様式で、多くは、店舗 兼 住宅の「商家」として作られています。 「武家屋敷」「民家」などと違い、「門」や「前庭」を持たず、建物が直接道路に面している点が大きな特徴です。 関西、特に「京都」では平安時代中期頃(10〜11世紀頃?)から始まったそうです。 江戸時代(17〜19世紀中頃)には、幕府による「町割り(敷地割)」の行政により、道路に面する間口の広さで課税されることとなったため、間口を狭くして奥行きを長くする「うなぎの寝床」と言われる細長い敷地形状が特徴となり、道路に面する表(おもて)に「みせ」(店、見世)(※これを「表店(おもてだな)」ということもある)、敷地の奥の方には「住居」や「」を配置する形になったということです。 昭和の高度成長期(1955〜1970年代初頭)頃までは、お店や工場に従業員が住込みで働くと言うのが普通だったので、従業員用の住居部分などもあったことでしょう。

町家建築」は、城下町などの都市部や宿場町など日本全国に普通にあったとのことですが、年々数を減らしており、町並みとして残る地域はそう多くないようです。 地域によりデザインの特徴があり、いずれも貴重な文化遺産です。
 

「町家建築」の形について

町家建築の構造は基本的に「木造」で、地上2階建てが一般的で多いようです。 江戸時代には参勤交代の大名行列が通る街道沿いは、2階を作ることができない時期があっため、平家であったり、2階があっても納戸として利用するだけの2階が低い町家建築が作られていたそうですが、江戸期時代後期からはだんだんと2階が普通に作られるようになり、明治時代に入ると、繁華街などに3階建てのものが建てられるようになりました。

町家建築は、2階よりも1階部分が道路に対して出ていることが多く、1階のせり出した部分には屋根があります。 多くは道路に対して勾配をつけています(平入り)。

 
2階の屋根は、切り妻屋根寄棟屋根入母屋屋根、など種類があり、切り妻屋根には、道路に対しての勾配の向きが違う「平入り」「妻入り」があります。詳しい解説は省略しますが、江戸〜東京周辺には、2階の屋根が「切り妻屋根」の「平入り」の形式が比較的に多いようです。
(拙作「東京下町 伍福屋町」の町家もこれを多く採用しています)

その他、養蚕が盛んだった地域の町家建築、養蚕農家(関東周辺だと旧甲州街道沿いなど)には、1階よりも2階の方が道路にせり出しているものがあります。2階のお蚕の部屋から、荷馬車に搬出する際に都合の良い形態だったようです。
 

「町家建築」の外壁仕上げについて

町家建築の構造は基本的に「木造」で、外壁が 木板張り で仕上げられた比較的簡素な仕上げのものから、「土蔵造(どぞうづくり)」と呼ばれる高級な格の高い塗り壁仕上げのものがあります。 「土蔵造」は、外部を土壁(粘土)で覆い、白土や白漆喰(しろしっくい)の 左官仕上げ を美しく施したもので、防火性能に優れます。 「」もこれに準じた造りです。 通りに面した「みせ」をこの仕上げにしている場合は「みせぐら(店蔵・見世蔵)」と呼ばれることもあります。
 
この仕上げ方は陶器(焼き物)に似ており、火災の際に焼け残った蔵の外壁は、陶器のように固くなっていたという記録を資料で見たことがあります。 土壁は断熱性能が高く、水分も含んでいるため、高温に晒されても水分を放出しながら火に耐え、内部の収蔵品は守られたということです。 左官仕上げは地面に近い部分が雨の跳ね返りで傷みやすいので、下の方だけ木の板で被い保護していることが多いようです。

  • 木板張り:
    土壁などの左官仕上げではなく、ヒノキや杉などの木材を直接外壁としている、比較歴簡素な外壁仕上げです。 1尺〜1.5尺(30〜45cm程度)幅の板を横張りし、その上に細い角材をタテ張りして補強する「押縁下見板張り(おしぶちしたみいたはり、南京下見板張り と称する事もある)」が代表的ですが、板を縦に張る場合もあります。 町家建築に限らず、武家屋敷、民家、長屋などにも用いられる外壁仕上げです。
     
    いつ頃からの工法なのか詳しくありませんが、古くは城郭や武家屋敷などにも用いられています。 現在は街中で見かける事が少なくなった外壁仕上げですが、昭和中期頃までは一般住宅にも用いられる一般的な外壁仕上げでした。
     
  • なまこ壁:
    白漆喰の左官仕上げの外壁の他、土壁の下地の上に、四角く平たいタイル状に焼いた瓦(かわら)を仕上げに貼り付ける「なまこ壁」と呼ばれる仕上げ方があります。 やはり防火性能に優れる高級な格の高い仕上げ方です。 つなぎ目(目地・めじ)は雨水が入り込まないように白漆喰でカバーしますが、カマボコのような断面の手の込んだ美しい左官仕上げの目地です。 私見ですが、なまこ壁は関東よりも関西以西の方に多いような気がします。 関東においては、江戸時代より関西との船の往来が盛んだった伊豆の下田などには、なまこ壁の町家建築や蔵がまだ多く現存しています。
     
  • 黒漆喰・江戸黒:
    白漆喰の左官仕上げの外壁は基本的に白色ですが、さらに手の込んだ、「黒漆喰(くろしっくい)」、「江戸黒(えどぐろ)」と呼ばれる黒い仕上げ方があります。 上質なナタネ油を燃やして取れた粒子が極小の煤(すす)を、白漆喰の左官仕上げの上に薄く塗り、手の込んだ工程を経て、最後は左官職人の手のひらをじかに使って鏡のようにピカピカに磨き上げるという、格がとても高い最上級の仕上げ方です。 「粋(いき)」を好んだ江戸っ子憧れの仕上げだったそうです。
     
    埼玉県川越市の旧市街地はこの「江戸黒」の店蔵がまだ多く残っていることで有名ですが、神奈川県小田原市、栃木県栃木市、福島県喜多方市などにも多く残っているようです。 かつては「東海道」(現国道1号線)沿いなどには多く建っていたと思われます。
     
  • レンガ積み
    その他、塗り壁ではなくレンガを積んだ「店蔵」や「蔵」もあり、やはり防火性能が高かったと思われます。 独特の外観がとても魅力的です。 現在の東京周辺には現存するものはそう多くない気がしますが、福島県喜多方市にはまだ多く現存するようです。
     

解説文を掲載しました(2025 /01 /18)

制作・撮影:山尾 比呂士 Yamao Hiroshi 2024
  (OLYMPUS OM-D E-M5 Mark II + M.ZUIKO 12-40mm F2.8 Pro)
2024年(令和6年)12月24日 掲載
2025年(令和7年)1月18日 更新
 
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山尾比呂士 Yamao Hiroshi
仮想建築 + 立体の絵図
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