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東京下町 漆間坂町
(とうきょうしたまち・ななけんざかちょう)
 
Tokyo Downtown, Nanakenzaka-cho

 
 202
5 個人蔵)
画像公開いたしました。(2025/05/22)
建物の説明文を掲載しました。(2025/06/05)

2009年の「東京下町の路面電車モジュール 其の1」、2014年の「東京下町の路面電車モジュール 其の2」以来、古い街並ものを制作していませんでしたが、約10年ぶりに小型レイアウトで制作した「東京下町 伍福屋町」(2024年)、「東京下町 陸華町」(2025年)に続く作品です。 タイトルの「」は漢数字「」の旧字体です。 (「七間坂」の旧字体が「漆間坂」)
 
西洋よりモダニズムの建築様式が入り始めた1930年代(昭和初期 頃)の、東京の架空の下町の駅周辺の情景を場面設定としています。 レンガの駅舎は、明治期に作られたという設定です。 神田駅御茶の水駅 沿線周辺のレンガ高架橋を意識しています。 駅の周辺には、明治〜大正〜昭和初期 の建築物が混在しています。
 
現在の「東京駅」開業は 1914年(大正3年)、「神田駅」と沿線のレンガ高架橋は 1919年(大正8年)、現存しない「万世橋駅」は 1912年(明治45年・大正元年))に建設され、その時にできたレンガ高架橋は1世紀を経た現在も現役です。
 
20世紀初頭には日本にも西洋から輸入された「自動車」が走り始め、1925年(大正14年)には、フォード社による組立て工場が横浜にでき「T型フォード」が製造されていたそうです。 日本のガソリン自動車普及の黎明期の象徴として T型フォード を配置しています。 (20世紀初頭にはいくつかの国産自動車メーカーが創業ていたそうですが、本格的なガソリン乗用車の量産が始まったのは戦後との事)
 
建物・T型フォードなどは全てオリジナル設計によるフルスクラッチです。(一部にレーザーカッター使用ですが、データはCADによるオリジナル)

(Nゲージ、S=1/150 スケール)
(屋根瓦・街灯・電柱、人形など、一部にメーカー製素材使用)
本体とアクリルケースを含む大きさ:W 510 x D 315 x H 約250 mm
 

解説文を掲載しました(2025 /06 /05)

 「東京下町 漆間坂町」の建物について

作品展「仮想建築・2025」
at:東京巣鴨「さかつうギャラリー」
(終了しました)
参の渓温泉 電気軌道 2020
東京下町 漆間坂町
(とうきょうしたまち・ななけんざかちょう)の走行シーン
2025年5月撮影

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回転画像 - 1(建物内照明外部照明 共に:OFF
回転アニメーション GIF -1カラー
Rotation Animated GIF 1Color

10.5 MB・700×456
回転画像 - 2(建物内照明外部照明 共に:ON
回転アニメーション GIF -2カラー
Rotation Animated GIF 2Color

10.9 MB・700×456

「東京下町 漆間坂町」の建物について

明治〜大正時代(およそ1920〜1930年頃)の、東京の中心地が本格的に近代化する黎明期の情景を、架空の設定で制作しました。 タイトルの「」は漢数字「」の旧字体です。 (「七間坂」の旧字体が「漆間坂」)
1間」=6尺1,818 mm、つまり「7間」=12.726 mm となり、1/150スケールのこの作品の場合、坂道の延長は約 850 mmほどです。 (2つの折れ曲がりで3分割された坂道の総延長は大体それくらいのはず)
江戸時代からこの坂は存在しており地名の由来となった、という設定です。 階段ではなく坂道なのは、荷馬車の往来があったためです。

ちなみに、「1間」=6尺 というのは「関東間」の場合であり、「関西間(あるいは、京間)」は「1間」=6.3尺1.909mm です。(関西間の「7間」=13.363 mm )
関東間」と「関西間」の境界はどこなのか、ネット上では、岐阜県関市(関ヶ原の合戦で有名な地)とも、新潟県糸魚川町とも説明されています。 料理の味付け(関東風味/関西風味)、電気の交流周波数(50/60 Hz)、地質学的な境界(フォッサマグナ)なども大体その辺りという事で、西日本と東日本の境界だそうです。

建物(ストラクチャー)や船は全て作者自作による型紙を使用して制作しています。 以前の作品(東京下町の路面電車モジュール 其の1・其の2)でも使用した型紙のほか、今回新しく起こした型紙もあります。

2025年(令和7年)6月5日 掲載

1:レンガ積みの駅舎(漆間坂駅)と高架線

明治〜大正時代(およそ1920〜1930年頃)の 神田駅御茶ノ水駅 周辺の風景がモデルです。 西洋をお手本とした近代化がどんどん進み、新しいエネルギーや雰囲気が街にあふれていたのではないかと想像しながらデザインしました。 (なかなか形がうまく決まらず、2回作り直して3つ目に作ったものを採用しました) 内部も作り込み、窓から覗くと駅舎1階内部(改札部分)も少し楽しめます。

  • 1889年(明治22年)4月:新宿立川 間で「甲武鉄道」(こうぶてつどう・開業当初は民営、現在の JR中央線 の前身)の開業
    • 開業当初は蒸気機関車による運転、後に電化。
    • 現在のJR中央線の線路が 立川新宿 間でまっすぐなのは、宅地などがほとんどなかったこの時代に線路ができたからとの事。
    • 日本の鉄道開業は、1872年10月14日(明治5年)、新橋停車場(現:汐留 駅)〜 横浜停車場(現:桜木町 駅) が初めてで、そのおよそ17年後に「甲武鉄道」が開業。
       
  • 1904年(明治37年)12月:「御茶ノ水」まで延長、「飯田町 - 御茶ノ水」間が電化
  • 1906年(明治39年)10月:甲武鉄道が「国有化
     
  • 1912年(明治45年・大正元年):「万世橋駅」開業
    • 現存しない駅、1943年(昭和18年)に営業休止・廃止
       
  • 1914年(大正3年):「東京駅」開業
  • 1919年(大正8年):「神田駅」開業、沿線のレンガ高架橋 完成
    • 東京駅やレンガ高架橋は、関東大震災(1923年)、東京大空襲(1945年)などを耐え、完成から1世紀を経た現在も現役です。

(出展: Wikipedia甲武鉄道ほか)

レンガの目地(レンガのつなぎ目で、実際はモルタルを詰める部分)はレーザーカッターによる刻印です。 いつも作品制作に使っている世界堂 扱いの 白ボール紙(株式会社 ORION 製、厚み約1mm)の白くない裏面に刻印していますが、そのままだと小さなレンガのかけらがすぐに剥がれてしまうので、赤の有機溶剤のアクリル系塗料(Mr.COLOR・C81)をたっぷり塗って定着させます。 レーザー刻印の際に真っ黒なススができますが、赤い塗料と混ざってうまい具合に赤茶色のレンガ風の色合いになります。 コーナー部分や末端は特にレンガが欠けやすいので、組み上げる段階で瞬間接着剤で強固に固めますが、どうしてもテカりが出てしまうので、仕上げの段階で水で薄くしたツヤ消しの水性アクリル絵の具(ガッシュ)でテカりを消しながら色合いを整えています。
 

2:漆間坂商會
 
(ななけんざかしょうかい・新字体:七間坂商会)

明治時代以降に東京の中心地が本格的に近代化するころ、西洋から優れた製品や技術が次々と輸入されていたそうですが、そのようなものを輸入販売する会社の一つが「漆間坂駅」の開業に合わせて完成させた社屋、という設定です。
 
モダンな外観は、当時最先端のものを取り扱っているという会社の誇りの表れでもあるのです。 もしかしたら、前の道路を走っている「T型フォード」の輸入販売をしている会社だったのかもしれません。 内部も少し作りこみました。 構造は、当時最先端の建設技術であった鉄筋コンクリート造(RC造)という設定です。

屋上に煙突が出ていますが、当時はエアコンがまだなく、暖房は地下の機械室にあるボイラーを使っていたから、という理由によるものです。 エアコンがないので、夏は窓を全開して扇風機を回していたことでしょう。

この建物のデザインは「モダニズム建築」というよりは「アール・デコ」です。 特定のモデルはなく、かつて実在した建物の画像資料を参考にオリジナルで当時風にデザインしました。 1930年代(大正末期〜昭和初期、昭和元年=1926年)以降に西洋から新しい建築デザインである、「モダニズム様式」や「アール・デコ様式」が入り始めました。 この2つの様式の違いや関係については、優れた専門家の方々が詳しく考察・研究されておられますし、そもそも色々な説もあるようなので、ここでは詳しい説明を省略させていただきます。 ただ、「モダニズム建築」の誕生がなければ「アール・デコ」の様式はなかったと思います。

昭和初期(昭和元年=1926年)の東京といえば、1923年(大正12年)の 関東大震災 の記憶がまだ新しく、復興に向けて地震に強い建物、火災に耐える建物が強く望まれていた頃です。 高い耐震性・耐火性への欲求と需要、「鉄筋コンクリート造」という新しい建設技術によって建設可能となった「モダニズム様式」や「アール・デコ様式」が入り始めた、ということもあり、モダンなデザインの建物物が日本で急速に普及し始めたようです。
 
当時、優れた近代建築が多く建設されましたが、1世紀を経過しようとしている現在、その多くはすでに失われ、奇跡的に現存する建物は本当に貴重な文化遺産となっています。
 

3:大正叢書(たいしょうそうしょ)

叢書」とは「いろいろな書物を集めて一つの本にまとめたもの」という意味だそうで、ここでは百科事典のようなものを出している出版社という設定です。 大正時代(1912〜1926年)に創業した、アカデミックな雰囲気に満ちた社風の出版社で、今日も編集者の方々が出版に向けて忙しく作業しており、中には徹夜続きで会社に寝泊まりしている人もいるようです。 タバコの吸いすぎには気をつけてもらいたいものです。

構造は鉄筋コンクリート造という設定です。 建物のデザインはオリジナルですが、このような感じの建物は古い画像資料ではよく目にします。 これが「モダニズム」なのか「アール・デコ」かよくわかりませんが、割と簡素なデザインで、質実剛健な社風を表しているのです。
 

4:うなぎすゞや(うなぎ すず屋)

明治時代以降に建てられた、木造の3階建て 町家建築 です。 江戸時代後期創業の老舗うなぎ屋で、建物は関東大震災の被害を奇跡的に免れたという設定です。 秘伝のタレは、江戸時代から継ぎ足し継ぎ足しで使われていています。
 
建物のデザインは、埼玉県川越市に実在し、現在も営業を続けられている老舗うなぎ屋さんの3階建て町家建築を大いに参考とさせていただきました。(川越は老舗うなぎ屋さんがいくつもあり、意外と激戦区のようなので、特定の店名は控えさせていただきます) 今回新しく型紙を起こしました。
 
大きな出版社や新聞社の近くには、うなぎ屋が必ずある、なんて話を以前聞いたような気がしますが本当でしょうか?
 

5:江戸屋本舗(えどやほんぽ)

3階建ての木造 商店建築 です。 伝統的な町家建築と違い、各階の道路に面する外壁面が揃っており、しかも一見して鉄筋コンクリート造に見えるようなデザインです。 外壁面はモルタルを左官仕上げしているという設定の、昭和初期以降のいわゆる「看板建築」です。
 
建物のモデルは、東京・中央区日本橋大伝馬町に現存し営業を続けられている、江戸時代創業の老舗の刷毛(はけ)専門店「江戸屋」さんの建物です。 実際の「江戸屋」さんの建物は2階建てですが、今も外観が美しく保たれている希少性や、その風情のある外観デザインに敬意を表し、雰囲気と店名を参考とさせていただきました。

看板建築 の特長としては、伝統的な町家建築と違い、道路に面した外壁面が1〜3楷まで揃っていることや、屋根・ひさしの出が少ない事などがあります。 これは当時の建築関係の法規・法令と関係があるそうです。 軒の出の部分も厳密に道路にはみ出してはいけないという、厳格化された建築法規が1919年(大正8年)にできたたことや、1923年の 関東大震災後 の大規模な区画整理の影響で所有する土地が減った人が多くいた、ということがあるそうです。 新しい法規下では屋根の軒の出の部分だけ建物の床面積が減ってしまう伝統的な町家建築が敬遠され始め、「看板建築」と呼ばれる新しいデザインの商店建築の普及が進んだということです。 当時最先端のデザイン「アール・デコ」が参考とされていることが多かったようです。 しかしあくまで店先のデザインが新しくなった在来工法の木造建築であり、工事も従来の棟梁や大工がやっていたでしょうから、構造架構や屋根は伝統的な町家建築と同じだったようです。

ちなみに、東京・銀座生まれで看板建築の商店が多い環境で育ったという なぎら健壱 氏は、「看板建築」ではなく「偽壁建築(ぎへきけんちく)」という呼称を提唱されているようです。(某TV番組で見ました) ミュージシャンでもある なぎら健壱 氏の1972年「万年床」というアルバム(当時19歳)のジャケット裏面写真には、「猪牙舟(ちょきぶね)」らしくも見える木造和船が大きく写っています。 この写真は1972年当時「東京・月島」で撮影されたということです。
 

6:大正新報(たいしょうしんぽう)社屋

日本の大手新聞社(全国紙)は明治時代創業とのことですが、

  • 毎日新聞(1872年・明治5年創業、創業当時:東京日日新聞)
  • 読売新聞(1874年・明治7年創業)
  • 朝日新聞(1879年・明治12年創業)

ここでは、大正時代に創業した東京の地方紙の新社屋という設定です。

鉄筋コンクリート造の建物は、今も昔もコストが高く、当時は特に経営基盤の大きな企業でないとなかなか建設できないものだったようです。
 
外観デザインに実在するものはなく、「アール・デコ」風のオリジナルです。 内部も少し作り込んであります。 屋上に煙突があるのは、「2:漆間坂商會」にて書いた通り、地下機械室の暖房用ボイラーの煙突その他があるためです。
 

7・8:町家建築の商店

伝統的な2階建て木造町家の商店です。 何を取り扱っているのかはご想像にお任せします。
 

9:T型フォード(FORD Model T)

アメリカフォード社により、1908年に世界で初めて量産化された大衆向けの ガソリン自動車 です。
(Wikipedia によればその後 1927年まで製造されていたとの事)
 

20世紀初頭には日本にも、西洋から輸入された「ガソリン自動車」が走り始め、1925年(大正14年)には、フォード社による組立て工場が 横浜 にでき「T型フォード」が製造されていたそうです。(組立て工場との事なので、アメリカで製造された部品を日本まで運び込み、横浜で組立てたものと思われます)
 
古い画像資料のいくつかには、T型フォードと思しきクラシックカーが写っているものがあります。 T型フォードは大衆向け自動車とはいえ、当時の日本ではまだかなりの高級品だったものと想像します。 日本のガソリン自動車普及の黎明期の象徴として「T型フォード」にご登場いただきました。 今見ると、何とも愛らしい姿です。
(20世紀初頭にはいくつかの国産自動車メーカー(ダイハツ、トヨタ など)が創業していたそうですが、本格的なガソリン乗用車の量産が始まったのは戦後との事)

画像資料を下敷きにCADデータを作成し、レーザーカッターで切出ししたものを組み立てたオリジナルです。 今後自動車が登場する作品には、T型の後継車として1927年から製造開始し、T型より少し大きくなって高性能化した「A型フォード」にもご登場いただきたいと思っています。
 

「漆間坂駅」前の道路の舗装について

「1:漆間坂駅」前の道路は砂利道ではなく、舗装されている状態を表現しています。 日本の道路舗装の歴史についてはネットで調べてみると、以下のような情報が出てきます。

  • 日本最古の アスファルト舗装 は、1863年(文久3年)頃に 長崎市の「グラバー邸」内の遊歩道。 厚さ50mmほどの玉砂利の上にタールを用いたそうです。 明治維新(1868〜1889年)以前のことのようです。
     
  • 日本初の アスファルト舗装による道路 は、1878年(明治11年)に東京 神田昌平橋」に施行されたそうです。(現在の東京都 千代田区 外神田)
     
    現在の「昌平橋」は、1923年(大正14年)に鉄筋コンクリート造として完成したとの事なので、それ以前の話のようです。 「昌平橋」は江戸時代から木造橋として存在していたようです。(幕末〜明治頃の画像資料も存在します) 何度かの架け替えを経て現存する橋になっているようです。
     
    現在の 昌平橋1923年竣工なので、それから1世紀を経過しています。 大正〜昭和初期頃の、鉄筋コンクート造 黎明期の構造物は、とても丁寧に施行されていたとみられ、丈夫で耐久性の高い上質な構造体が多かったようです。
     
    戦後の高度成長期以降(およそ1960年代以降)に東京では建設ラッシュが起こり、明治〜大正〜昭和初期の良質な施工による丈夫な構造物が次々と壊されていきました。 とても丈夫な構造体が多かったので、解体工事は今の構造物と比べ物にならないほど困難だった、という話は度々聞いたことがあります。 高度成長期以降の建物の方が、構造体としては貧弱で耐久性が低く、寿命が短い構造体、という話もやはり度々耳にする話です。
     
  • 日本初の コンクリート舗装 は、1912年(明治45年・大正元年)に名古屋の「大須観音 入口」に施行されたそうです。 道路への施工は、1923年関東大震災 以降 だそうです。
     
    この作品(東京下町 漆間坂町)では、駅前の道路は、なんとなくコンクリート舗装をイメージして仕上げました。 アクリル絵の具(つや消しのガッシュ)に、モーリン製の「リアルサンド」という目の細かい砂を少量混ぜて塗り、仕上げています。 これをやると筆がすぐにダメになってしまうので、良い筆は使わない方が良いです。
     

主な使用材料

  • スチレンボード(地面の高さ調整・3〜5mm厚・世界堂、東急ハンズ 扱い)
  • ボール紙(世界堂 扱い・約1mm厚・株式会社ORION 製「白ボール・A3」
  • イラストボード(1〜2mm厚、建物のベース、レールのベース)、
  • 瞬間接着剤
     
    (サラサラタイプ:Can★Do 扱い「瞬間接着剤 1g x 3本入・速乾タイプ」
     (中粘度:Can★Do 扱い「瞬間接着剤 2g x 2本入・多用途タイプ」
      その他
  • 木材(台座部分:ラワンベニア・シナベニア、アガチス単版)
  • 紙粘土(岩の表現、「Hearty ハーティークレイ・ホワイト
  • 艶消しアクリル絵具ホルベイン・アクリラガッシュ
  • 地面の砂・石:モーリン製「リアルサンド」「Rストーン
  • 瓦屋根:グリーンマックス 「瓦屋根」(Nゲージ用)を着色加工
  • 川沿いの石垣:津川洋行「 (N) SNP-N4 シーナリーペーパーN 石積 灰」を着色加工
  • 人力車・屋台:「さんけい」製キッド
     
  • KATO フォーリッジクラスター(樹木の表現)
  • 光栄堂フラワーツリー(樹木の表現、世界堂、東急ハンズ 扱い)
  • ソフトショートアスパラ(柳の木の表現、昔 世界堂で買ったもの)
     
  • 高透明レジンプロクリスタル NEO」(川・運河の水)
  • ホルベインCrystal Varnish」(水面波の表現、レジンの硬化後に塗布)、
  • アサヒペン水性ニス・マホガニー」(台座の仕上げ塗装) 他
     
  • PECO フレキシブル線路(N用、W 9.5mm)SL-300F コード55
  • 犬釘(篠原 HO N3 Spikes)
     
  • 照明:LED(3mm砲弾型、色数種) + CRD(E-153) + 560Ω抵抗 を1セットとして、計30セットほどを全て並列接続
  • 台座全面スイッチ:オルタネート、2系統(建物内部用、外部ライトアップ用)
     
  • アクリルケース(3mm厚・透明・押出し)
     
  • 販売の際の付属品
    • アクリルケース(3mm厚・透明・押出し)付属
    • 照明用のACアダプター(5V・2.0A)付属
    • パワーパック用 DCフィーダーコード N用 付属
      (TOMIX 5534 DCフィーダーNのレール側プラグ部分を別のプラグに交換したもの)
    • 車両パワーパック本体は付属しません。
       
  • 画像の車両は、「アルナイン」製のキットを作者が塗装・組立したものです。
    (車両は付属しません)

 

解説文を掲載しました(2025 /06 /05)

 「東京下町 漆間坂町」の建物について

制作・撮影:山尾 比呂士 Yamao Hiroshi 2025
  (OLYMPUS OM-D E-M5 Mark II + M.ZUIKO 12-40mm F2.8 Pro)
2025年(令和7年)5月22日 掲載
 
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山尾比呂士 Yamao Hiroshi
仮想建築 + 立体の絵図
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 Copyright(C) 2008 Yamao Hiroshi(山尾 比呂士)
山尾比呂士 Yamao Hiroshi
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- Imaginative Architecture + Solid Drawings -

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